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topic:忍者 アドベンチャービタミン~Yu-ponの日本旅行のヒント~

公開日: 07 Sep 2016| 更新日: 24 Jul 2025

忍者の歴史

忍者の歴史に関する小話

 忍者の存在が歴史上確認されたのは約1400年前です。

 仏教を導入し、大和王朝の礎を作った聖徳太子(AC572-622)が大伴細人(おおとものほそひと)を『志能備(しのび: 忍者の起源の名前)』として敵方を探る諜報技術を持ち、「孫子の用間」という忍術を使い、賊を倒させたことが記録として残っているそうです。

 また、新羅(しらぎ)系の渡来人、秦氏をも重用し、この秦氏は伊賀・甲賀に定住し忍術の術を伝えたということです。

 日本での忍者の活動が盛んになったのが奈良時代(710-794)でありその原因は荘園制の確立です。中世の経済は稲作による年貢により支えられていました。この荘園を地方の豪族、貴族、天皇、寺社などが所有し、それを守るために必要とされる人達が所領を持たない「悪党」と呼ばれるグループでした。

 この「悪党」の活動が忍者の存在を形作っている?その仕事は敵対する荘園に対しての諜報や侵入、奇襲攻撃を請け負う仕事を生業とするものでした。

 これには侍の仕事ではなく、主体は農夫や寺に従属する僧兵などでした。侍は夜襲や後方活動による戦果をあげても、恩領として評価されなかったからです。戦国時代後期には手柄のあった忍者やそれを統率する郷士を下級武士の忍者・忍士として大名は徴用するように変化していきました。

 また忍術としての術は伝承のは、漢方による薬学や、気象、医学、数学、天文学,易学等々、文字など多岐に渡り口伝でなく文字による伝承が必要でした。文盲の無学な農夫でなく、修験道の山伏-僧などの介入が重要な地位を占めていました。

ninja study

 この修験道については、明治維新において政府の神仏統一令により修験道の寺は廃寺になり27万いたといわれる信者は衰退し、いまでは殆どの日本人は、古くからあった仏教と融合した山岳信仰を知りません。だから同じく忍者の実際を山伏との関係を知る者もいないようです。

 明治になるまで日本の首都があった京都の周辺を見てみてみると、狭い平野を高低のある山並みが区切っています。山地、丘陵地と台地の3/4を占めています。つまり山岳地が敵対する相手との境界線になっていることが多く、山岳地での攻防が大事なことがわかります。

忍術の発展は、以下の3つの要因に支えられていました。

  1. 修験道との関わりにより、生存技術が提供されたこと。
  2. 海外からもたらされた技術や情報(漢方薬、火器、火薬など)が加わったこと。
  3. 専門的な忍者活動の需要が増加したこと。

戦国時代には、日本全国の大名がそれぞれ自分の忍者集団を編成しました。

歴史的に見ても、特に伊賀、甲賀、戸隠(真田)忍者集団は、卓越した技術を持つことで知られています。